noob_mechanicsの日記

陰キャぼっち大学生の思想

おひさ

色々書きたいと言って始めたこのブログ、気がついたら存在を忘れていて半年以上更新を忘れていた。

 

このブログの当初の目標だった、勉強したことの雑感を述べるだとか、社会に対して思うことだとかを一切できず結局精神的に不安定だった時期の愚痴の吐き出し口にしかなっていない。

 

研究とか学生生活とか今までの生活態度とか色々考えたが、「計画的にコツコツと物事を進めることに向いてない」という事実をようやく受け入れられつつある。もうそういう人間なんだから仕方ないという諦めもついたので、やりたいときに勉強してやりたくないときは何もしない、やるやる詐欺も人に迷惑をかけない範囲ならやりまくっていく方針にした。

 

このブログも例外ではない。思いついたときに思ったことを書くだけの特にあてのないブログにしたいと思う。久々に自分の書いた文章を読むと、その当時考えていたことと現在の自分を比較して、精神状態の変化だとか考え方の変化といったことに気が付くことができて面白いので、何かを残す気になったときは残していきたいと思う。

 

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さて、去年の夏に院試を受けて無事受かり、冬は卒論に勤しみ、その後も研究関連でいろんなことをやった。

研究室の先輩に色々お世話になり、人と話す機会も増え、体を動かして何かをするという機会も増えた。これと言って楽しいことが無ければ楽しめる趣味も見つけられていないので、劇的に生活が充実したわけではないが、それでもB3とかB4とかの頃に比べると随分と充実しているような気がする。

 

去年の今頃、あまりに精神的につらく、時には体が動かないレベルにやる気が出ない日があった。このブログでもしんどいとか躁鬱っぽいだとか色々書いていたが、今から思えば実際かなり病的に精神的に不安定だったように思う。

研究室で人と触れ合う機会が(半強制的に)増え、体を動かして頭を動かす機会が(半強制的に)増え、今まで抱えていた辛さやしんどさのようなものを次第に忘れてきたのか、去年頃ほど精神的につらい日は少なくなってきた。

 

ブログで文章書いて整理をつけようとしたり、世の中(というか自分の気に食わない人)を叩いてみたり、趣味がないことや彼女がいないことに理由を求めたりしてみた。しかし、特に何かが変わったわけでも、何かが解決されたわけでもない、ただ忙しくなって周りの人と関わる機会が増え、忙しくなって体力がついたというだけで今までほどの精神的不安定さがなくなった。

 

おそらく、本当にしんどかった時期から時間が経って整理はつかなくても忘れることができたというのもあるだろう。だが、「人とかかわる」「体力つける」の二点だけで、問題解決など一切しなくとも、ある程度精神的な辛さから逃れることができるのかも知れない。そのことを実感したので、今後辛いことがあっても生活に支障をきたさない範囲に止めることができるような気がする。

 

これは今後の人生においてとても重要な教訓である気がするので、意識していきたい。

ただ、ひとつ懸念点もあって、こういう気づきがあるたびに自分が思考をしなくなっていっているような気がするのだ。確かに精神的には安定するのだが、よくよく考えると何の解決もしていない、こころの底に泥が溜まったまま、みたいな感じがしてしまう。

 

こういうことを考え出すと無限ループになってまたしんどくなってくる。人生なんてそんなもんだよなぁ的な。なにか尊いものがあるのかもしれないと思って生きてきたが、「人とかかわる」「体力つける」だけで辛さがなくなるということは心地よいことも同じで所詮なにかのパターンでしかないのかもしれない、的な。つまり、人生に目の前の快楽以外に目的なんてないのでは?的な。

 

・・・・・・最近精神的に安定してきてると思ってたけどそうでもないな、回復までにはあと数年はかかるのかもしれない。さらにストレスがかかるような職場になったら本気でこの世から消える結果になりかねないから、就活頑張ってそこそこホワイトな企業に就職できるようにしなきゃならない。ので、就活頑張ります。面倒くさいけど。

ここ最近思うこと

8月に院試に受かってから完全に研究室の犬と化しているので、日記を書いていたことを完全に失念していた。

 

実験をしたり、ちょっとした出張をしたり、実験したり、実験準備をしたりと「犬になった」とか言って貶している割には研究室生活を楽しんでいる。今まで全く成績が振るわなかったが、実際にモノを作って触って、どうしたら上手く行くか、色々と調べもって考えるというプロセスは好きなのかもしれない。今となっては、ちゃんと数学なり力学なりの勉強をしておけばよかったと思うが、研究始めてみないことには勉強の必要性など分かるはずもなかったので仕方あるまい。

 

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さて、ここ最近色々とあって、学生の自主活動とその立ち位置について考える機会が増えた。

大昔であれば、学生運動だとか全共闘だとかそういったものが学生の活動の中心だったのかもしれないが、近年ではサークルや部活といったものが主流になっている。そんな中、最近では起業や環境活動といったものも学生がやる活動として多くなっているような気がする。

大学や企業が支援して「学生ならでは」の意見でビジネスを立ち上げよう!だとかなんとかイニシアチブだとか、なんとかイノベーションだとかとりあえず横文字使ってればそれっぽいだろうみたいなものがたくさん立ち上がり、多くの学生がそういった活動に力を注いでいる。

 

こういった活動に参加している学生は、能力が高く、人を束ねる能力がずば抜けているのだろうという印象を持たれることが世間一般的には多いし、自分も学部の1年の頃には同じように思っていた。しかし、実際にそういった活動をしている学生、そういった活動を支援している大人たちに出会う機会があるとその印象が大きく変わってしまった。

 

「起業」や「環境」などといった言葉を掲げて活動している学生なんて9割方ただのゴミカスだと思う。事務処理能力はその辺の学生と対して差がないか、むしろ今まで妄想空想だけで実務に携わったことがない分低い傾向にあるし、コミュ力(笑)が高いだけで社会性があるかどうか怪しいし、そのくせ声だけ大きく、リーダーになりたがろうとする。その能力も覚悟も継続する気もないのに、である。こういう活動をしている学生は、カッコいい横文字やビジネス、起業といった言葉が好きで、SNSでオナニー的自己顕示投稿をしている歯が無駄に白い胡散臭い起業家を妄信しがちである。こういう人が出している自己啓発本を鵜吞みにし、「できる人間の話し方」のようなものを脳死で真似する。自分の(正確に相手の考えを理解し、話の流れや、相手の気持ちを酌んだうえで有益な意見交換をするという意味での)コミュ力がないことに自覚的でないにもかかわらず、猿真似に徹する。本を読んでいるから自分は正しいコミュニケーションを取れていると思っているが、その実、進むはずの議論を止め、ただ話をその場で空転させるだけで仕事をした気になる。そういった人間がリーダーになって舵取りをするもんだから、当然やってる感だけでほとんど実体のない活動しかできない。しかも何が悪質かというと、そういった弱点・問題点に自覚的でないのである。

 

で、ここまでさんざん愚痴を垂れたところで本題に入るが、こういった学生がどうして現れるのかということについて考えたいのである。

結論から言えば、「起業」や「ビジネス」といった言葉に敏感な(だけの)学生を世の中の大人がもてはやすからではないだろうか。

学生が起業活動をする、なにかビジネスを興すといったときにほとんどの場合、大人が絡んでいる。(ここでいう大人は社会的に責任を取ることのできる立場にいる社会人という意味にしておく)

そういった大人たちは、一部の学生を良いように使ってただ働きさせよう、ひたすらそういった学生を唆して何か買わせてやろうと企んでいる奴を除いて、「若いやつらが頑張っているのを見ると元気が出る」だとか「若い人を支援してあげたい」だとか「この若者が社会に出た時に成長してほしい」だとか案外"熱い"思いで支援を行っているのではないだろうか。

(前者の学生を利用しようとしている大人たちに対しては何も思わない、ただそういうやつらに騙される馬鹿な学生が悪いとしか思わない)

 

私が問題視したいのは、後者の"熱い"思いで学生支援を行っている大人たちである。この人たちは大きな場で学生が何かしらの成果を出すことを求め、「何とか講演会で発表した」だの「誰だれと対談した」だの学生に大きなことをさせたがる。そして、その成否や実情、本当の中身には何の興味も示さず、「すごかったよ、よくやったね」と持て囃すのだ。

その裏に、どんなやり取りがあり、どんな人間がどんな動きをしたかには関知しない。このことがどんなに投げやりで無責任なことか考えてほしい。

中心になった人間にとっては多少なりとも有益なことかもしれない。学生時代の「実績」が増え、自信がつく。だが、その周りの人間はどうだろうか。自信をつけた中心人物は実際の仕事をどれだけやっただろう、実際に作り上げたものはどんなレベルのものだろう、本当に(大の大人が)無邪気に手放しにほめそやすものは、どれだけの人間の気分を害し、迷惑をかけて作ったものなのだろう。未熟な学生が企画し実行するのもなんてほとんどがとてもレベルが低い。それを振り返り、自分がいかに未熟か自覚したうえで次に改善をしていく。そういった機会をむしろ奪うことにはなっていないだろうか。

 

このように、大したこともやってないのに大人が用意した土俵で一発芸をやるだけで褒められる。そんな構造が果たして健全だろうか。大人が用意した、本当は学生でなければ簡単に立てない舞台ならば、正当に、その舞台にふさわしい評価基準で評価すべきではないだろうか。そういった舞台に学生を立たせるなら、それにふさわしい技術なり実績なりを作り上げることに十分責任を果たすべきではないだろうか。

 

これで勘違いした人間が、自分は人を束ねられる、実績を残せると思い込んで社会に出ていく。話を空転させるだけ、人を率いることの意味を勘違いし仕事を横に流すだけ、本質を理解せずに短期的に物事を片付けるだけで仕事をした気になる人間が増えていくのではないか。

大人たちの無責任な学生支援は、こういった「仕事をしている風」の人間で世の中を埋め尽くす結果にはなるまいか。

 

まぁ今社会を回している大人たちが「仕事をしている風」ばっかりだからこんな学生支援でも社会をよくするために意味があることだと思っているのかもしれない。

そうだとしたら、30年停滞した日本社会は今後向上することもないし、根本原因が再生産されているなら救いようが無いと思う。

 

最後、無駄に主語がでかくなったが何が言いたいかというと

 

_人人人人人人人人人人人_
> 意識高い系が大嫌い <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y

院試終わった

最近まったく更新していなかったが、院試で色々と追い詰められていた。

それがちょうどこの前終わったのでたまーに投稿するのを再開しようと思う。

 

 

院試を完走した感想ですが、マジでしんどかった。

 

今まで自分が勉強してこなかったことと向き合わなきゃいけないし、院パスした研究室の同期と研究進めるスピード違いすぎて研究室で浮き始めてるし、そもそも友達がいないから勉強法もよく分からん、答え合わせもできない、何の情報も入ってこないで最悪だった。

大学の勉強を友達なしでやるのは本当に無謀&時間の無駄だから大学ではどうにかこうにか勉強にやる気のある友人を1年生のうちに見つけてその人達と勉強するのをお勧めしたい。

 

こんな具合で遊びもせず、数か月の間しんどいしんどい言いつつやってたら、本当にしんどくなって、ベッドから起き上がれない日が続いたり、夜全く眠れなくなったりしてしまった。

 

挙句、院試の成績たぶんだいぶ悪いし、口頭試問で「お前その学力でほんとに研究できるんか?(要約)」と言われてしまった。

 

勉強自体面白いと思うし、興味はあるし、やったら楽しいが、昔楽しかったことが何も楽しくなくなって、気分転換にやろうとしたゲームすら5分もたたないうちに力尽きてやめてしまう精神状態でどうしろと?って気もするが、勉強しなきゃどうにもならんのでやるっきゃない。

 

院試を通してそんなことを考えていたら、数学を割と楽しんで勉強できるかもしれない希望が湧いてきてはいるので院試勉強の惰性で復習でもしようかな、という気分にはなっている。

 

私の性格上、このやる気があと1週間続くかもかなり怪しいが今回こそは頑張りたい。(n回目)

 

口頭試問の感じでは受からせてくれそうだったので、落ちないはずだが、発表がまだなので闇投稿が増えたらそういうことだと思っていただきたい。

 

相談室

 最近、あまりにやる気が出ないから相談室に行こうという日記を先日上げた。

あのあと大学の学生相談室の予約したのだが、2週間待ち。ようやく相談室にいけそうなのだが、ここ数日はそこまで調子が悪くないのでなんだかなぁという気がしている。

 

期末&院試前ってことで病んでる学生が多いのか相談室も忙しいらしい。

こういう相談室行きたい系しんどいって結構緊急性が高い気がするから、せめて2日後には行けるようにしていただけるとありがたいんだが、予算も少ないんだろうしそういうもんだと思うしかない。

 

しんどかった時期に心療内科に行ったのだが、その時はほとんどロクに相談できず逆に鬱が悪化した。

相談室もたぶん似たようなもんだからある程度準備をしていかなきゃまともに相談できないに決まってるが、しんどい時にそんな余裕あるわけないだろ、ファッキン心理学・精神医学と思う。

 

でもまぁ予約してもうたし行くしかないんやけど

 

今日は(何もしてないが、それゆえに)ストレスフルで推敲などする気力もわかないので、文章が荒れている気がする。

やる気

やる気というのは非常に扱いが難しいものな気がする。

 

ここ最近院試勉強への、というかやることなすことすべてに対するやる気がなかった

(だから日記もサボりがちだった)

 

ただ単純に「やる気がない」と書くと「いや、やれよ。大学受験よりマシとはいえ人生かかってるんやろ?」と言われてしまいそうだし、実際そうだと思う。

しかし、ここ1年くらいの「やる気のなさ」はかなり強烈なのである。実際、ベッドから起き上がるのが面倒くさいとか、夕食の準備が面倒くさくて食べようと思ってから夕食にありつけるまで3時間かかるとか、頑張って足引きずって大学に辿り着いてもそれ以上やる気力が起きなくて机に突っ伏して数時間過ごすだけで帰ってくるとか、そんなレベルなのである。

 

あと、逆にやる気が出てくるときは異常なくらいやる気が出てくるのである。

そういう時は「この本、頑張ってこの一週間で読み込んでみるぞ!」「院試勉強だけだと虚無だからな、他の人より勉強して研究のために準備するぞ!」とかずっと考えるようになる。昨日までしんどくてベッドから起き上がれず、24時間のうち18時間くらいベッドの上にいた人間が、である。

 

・・・いや、躁鬱じゃん!と最近気づいたので、学生相談室に行くことにした。

大学の学食

最近院試のための時間を確保しようってんで、夕食の自炊を諦めて大学の学食を使っている。

 

普通なら研究室の近くにある大学生協の食堂を使うのだが、個人的に生協食堂が嫌いなので歩いて10分かけて少し遠くの別の学食を利用している。

 

そこまで安くない上に、とんかつにサラダもつけない、「どうせ男しかいない工学部の学食なんて3種類くらいメニュー用意してたらええやろ」とでも言わんばかりのメニューの少なさの生協食堂と違い、その学食は630円で味噌汁、ごはん、副菜、サラダ、メインおかずがついてきて、そこらの女子だと食べきれないくらいには量が多い日替わり定食がある。しかも、カレーもおいしい。

 

朝昼ほぼ食べない私みたいな男子大学生にとっては夢のような定食だ。

院試終わってもずっとこの学食でご飯食べようかなと思うくらいには気に入ってしまった。この学食の夜ごはんサブスクとかあったら絶対に買う。

大学の実験施設

私は機械系の大学生なので研究室の諸々で大学の施設を使うことがある。

 

身バレしそうなので詳細は言わないが、今日初めて使った施設でかなり危なっかしいこと(設備の性能上、想定されてる使い方ではある)をした。

 

職員さんがついてくれていたので安全上の問題はないし、事故も当然起こらなかったのだが、こういう研究室に配属されないと触れない、普通に億単位しそうな設備を自分の手で動かせることにある種の恐怖を感じてしまった。

 

なんというか、国の金で作った超高額で貴重なものを使えること、ミスったら普通にぶっ壊せてしまうことに、「国立大理系って恵まれてるよなぁ」「その分周りからの期待値も負うべき責任もでかいのよなぁ」とか色々思うところがあった。

 

考えてたらちょっと胃が痛くなったけど、これからもクソ高い授業料を親が払ってる税金の分まで取り返すつもりで、研究費も研究施設も使わせていただくことにしよう。